プロジェクト

【統合計算化学システムMOEを使った
       タンパク質−リガンド相互作用のシミュレーション(相川京子・加藤美砂子・小川温子)】

実験により得られたタンパク質高次構造情報をもとに、統合計算化学システムMOE(Molecular Operating Environment)を使って タンパク質分子上に推定される特異的リガンドとの相互作用部位をシミュレーションにより特定します。 発現されている生物種や系統が異なるが同等な活性をあり、構造が類似したタンパク質間での比較解析を複数行い、 それらタンパク質の分子進化や構造−活性相関に関する考察を行います。
本研究においては、タンパク質―リガンド相互作用の例として、
(1)レクチン(糖鎖結合タンパク質)による糖鎖認識
(2)酵素による基質認識
(3)抗体分子上の抗原結合性とは異なる糖鎖認識
を取り上げます。
シミュレーションにより分子認識に関わる構造多様性と共通性を俯瞰し、進化においてそれらの多様性が創出されたメカニズムならびに 生物機能における分子認識の普遍的重要性を理解するために有用な知見を得ます。



(1)レクチン(糖鎖結合タンパク質)による糖鎖認識:
                    動物型β-プリズムフォールドレクチンの糖鎖結合部位の解析

β-プリズムフォールドレクチンはバナナ、ジャックフルーツなどの植物に広く発現されているレクチンで、 マンノース/グルコース特異的、あるいはガラクトース/N-アセチルガラクトサミン特異的な糖鎖結合性を持ちます。 一方、ヒトやマウスにも植物由来β-プリズムフォールドレクチンと構造の類似したタンパク質としてZG16pやVMO-1が見つかっています。 ZG16pはマンノースに対して結合し、グリコサミノグリカンなどの硫酸化多糖鎖に対する結合性を持つ点で植物由来の β-プリズムフォールドレクチンと異なりユニークです。VMO-1に関しては、糖結合性は明らかにされていません。
本研究では、ZG16pとVMO-1についてホモロジーモデリング、分子表面解析、ドッキングシミュレーションを行い、 糖鎖と結合部位の推定や分子表面の特性を明らかにしました。

① ZG16pの糖鎖認識におけるリガンド認識ループの寄与
ZG16pの糖結合部位近傍にあるリガンド認識ループ(LRL)のアミノ酸長や配列を改変した変異体を作成しました。 これらのうち、ヘパリンとの結合性が野生型より上昇した改変体が見つかりました。 分子モデリングを行ったところ、これらの変異体では野生型よりもアミノ酸長の長いLRLを挿入しましたが、 ヘパリン結合部位に対して挿入部位は立体障害にはならず、挿入LRLに含まれるヒスチジン残基が付加的にヘパリンとの 結合に寄与した可能性が考えられました。
また、最も長いLRLを挿入した変異体でもヘパリンへの結合性は変化せず、ZG16pをスキャフォールドにしてLRLの構造改変を行うことにより、 新たなリガンド認識部位を付与した機能性分子を創出できる可能性が示唆されました。

② ヒトVMO-1の分子モデリングと糖結合部位の推定
トリVMO-1の結晶構造をもとに、ヒトVMO-1の立体構造のモデリングを行い、 リガンドとなる可能性のあるキチンオリゴ糖に対するドッキングシミュレーションを行いました。 その結果、ヒトVMO-1にもリゾチームに見られる糖結合に関与するcavityがあることがわかりました。
この結果を受けて、今後はVMO-1と細菌の多糖との相互作用を実験的な検証等を行い、VMO-1の生物学的機能を調べる予定です。




(2)酵素による基質認識:モチーフB’メチルトランスフェラーゼの基質結合部位の解析

モチーフB’メチルトランスフェラーゼは植物に特有のメチルトランスフェラーゼです。
モチーフB’メチルトランスフェラーゼはDNA等の高分子化合物ではなく、低分子化合物のメチル化を行い、植物二次代謝の多様性に貢献しています。 チャやコーヒーなどに存在する二次代謝産物のカフェインも、このモチーフB’メチルトランスフェラーゼファミリーに属する酵素によって合成されます。 モチーフB’メチルトランスフェラーゼは非常に基質特異性が高いことが知られています。 その理由を、統合計算化学システムMOEを用いたシミュレーション解析から推定し、実験科学による検証につなげることを目的として研究を行いました。
モチーフB’メチルトランスフェラーゼファミリーに属するClarkia breweriのサリチル酸メチルトランスフェラーゼ(1m6eX)の立体構造を鋳型として、 チャCamellia sinensisのカフェインシンターゼTCS1のホモロジーモデリングを行い、site finder機能により、基質結合部位の推定を行いました。
さらに、ドッキングシミュレーションにより、基質のテオブロミンとSAMの結合状態を推定しました。 これらのシミュレーションから、TCS1の基質結合ポケットの形状を示すことに成功しました。
この形状はチャ亜属植物のプリンアルカロイド合成に関わるモチーフB’メチルトランスフェラーゼに共通にみられる形状でした。 また、酵素と基質の相互作用の分析により、他の植物における別の機能のモチーフB’メチルトランスフェラーゼで基質特異性に関わると指摘されている アミノ酸に対応する残基がTCS1においても基質結合に関わっている可能性があると推測されました。
一方で、ツバキ科サカキ属の、サカキのサリチル酸メチルトランスフェラーゼEjMT1の基質結合ポケットの形状はTCS1とは異なることが示唆されました。 この酵素の基質認識に関与すると思われるアミノ酸をTCS1の基質認識に関与するアミノ酸に置換すると、基質結合ポケットの形状がTCS1に類似するようになりました。 わずかなアミノ酸の置換が基質結合部位の立体構造に大きな変化をもたらし、その結果、酵素の基質特異性が変化したと考えられます。




(3)抗体分子上の抗原結合性とは異なる糖鎖認識

われわれは、マウスmAb-IgMにおいて、抗原認識とは異なる糖結合性を有することを見出しました。 この発見をきっかけに、糖結合性が抗体クラスや哺乳類抗体分子に共通した性質ではないかと考え、 それを明らかにするため、種々の動物由来の抗体について糖結合性の解明に着手しました。
さらに、抗体分子のどの領域に糖結合部位が存在するのかを解明するため、ウサギIgGs抗体をフラグメント化し、 その糖結合性について解析しました。 これらの実験結果から得られた糖結合部位情報を、計算化学に基づくシミュレーションによる結果と比較検討するため、 MOEを用いて各抗体ドメイン上の糖結合部位を予測解析しました。

  1. 哺乳類IgGs, IgMsにおける糖結合性の発見
    抗PA化糖鎖マウスモノクローナル抗体(anti-PA-GlcNAc2Man3-IgM)の結合特異性をヤギの抗マウスIgMポリクローナル抗体と比較したところ、 抗原糖鎖との結合性が共通に認められました。 そこで、免疫前ウサギIgGs、免疫前ヤギIgGs、免疫前マウスIgMs、およびヤギ抗マウスIgM(m)-IgGsの糖結合性を 糖-ビオチニルポリマー(BP)プローブを用いるELISA法で比較しました。 いずれの抗体もα-Gal-またはα-GalNAc-BPプローブとの結合性を示しました。 しかし動物種あるいは抗体クラスの違いにより、結合特異性に差が見られました。
  2. ウサギIgGs,ヤギIgGsにおける糖結合ドメインの同定
    抗体分子を酵素によりフラグメント化し、その糖結合性を解析しました。 まずウサギIgGsのパパイン消化を行い、FabフラグメントとFcフラグメント(5)をプロテインAおよびゲルろ過FPLCにより分離しました。 得られた各フラグメントを用いてELISAを行った結果、Fcフラグメントはα-GalNAc-およびα-Man-BPへの結合を示しましたが、 α-Gal-およびα-Gal-BPプローブへの結合は著しく減少しました。 一方、Fabフラグメントはどの糖-BPプローブに対しても有意な結合を示しませんでした。
  3. Molecular Operating Environment(MOE)による糖結合部位の予測
    本年度は、Protein Data Bank (PDB)に登録されたウサギIgG-Fcの結晶構造(PDB code: 2UVO)をもとに、 ドッキングシミュレーション(ASEDock)によりD-GalNAcとの結合部位予測を行いました。 最も結合エネルギーの小さい安定構造は、FcフラグメントのCH3ドメインにあると推定されました。



今後は、結晶解析などにより結合部位を実験的に検証し、抗体分子上の各糖結合部位を詳細に明らかにすることと、 抗体分子の生体内における糖結合性の意義を解明することが、課題です。 抗体は、検出、分離、治療などの目的で研究および医薬にも広く使用されています。 種々の動物の抗体分子が抗原認識とは異なる糖結合性をもつことは、抗原親和性の低い抗体を利用する場合に結合特異性への影響が大きいと考えられるので、 本研究成果は、糖結合性の影響を排除して抗原非特異的反応を抑制する方法の開発に役立ち、診断・治療、または研究用試薬として抗体を用いる際に、 正確な診断や抗原検出・精製を行うために貢献できると思われます。

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