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【シミュレーションゲーム「インドの農業」感想】

水野先生:(水)、長谷川先生:(長)、学生6名:(学)


(水) 最初にちょっとしたエピソードを話しておくと、
僕は大学関係の宿舎にいるんですけれども、
子ども達がいっぱいいて、砂場で遊んでいるんですよね。
当然のごとくままごとをやっているんです。
何か美味しそうに色んなものを作ってやっているんですけど、
その内の子供の一人が砂を丸めて団子にして食べようとしたんです。

そしたらちょっと年上のお姉さんが
「それダメよ、それ砂だから食べちゃダメ」
って言ったら

「分かってるよ」
とすごい冷めた声でその子が言ったんですよね。

その冷めた子は何でままごとをやっているのかな、
とずーっと思いながら数日経っているんですけれども。
何でままごとをやっていつつ砂だって分かっているよってその認識があるのかっていう。

それがシミュレーションを考える時に重要なポイントだなと思って、見ていたんですよ。
本当に本当っぽくままごとっぽくやっているんですよ、
はいとか言ってやっているんですよね。
何であんなことするのかっていうのと、砂だと分かっているという。

「それ砂だよ」とか言うのは勇気が要りますけれども、
クリスマスの時にサンタさんにお父さんだよと言っちゃうような、
何か変な感じがありますけれども、
シミュレーションにも似たようなところがありまして、
これからフリーに感想とかコメントをもらいたいと思うんですけれども。


どうですか、やってみて。
大分長い時間やってもらいましたけれども。

まず大雑把に、示唆されることはなかったですかね?
実感として、やってみるということをやったわけですけれども、
やってみて何か身体に残ったことというか、
身に染みるというのか何かを考えるというか、
そういうことはなかったですか?
(学) 子どもが生まれると途端に生活が厳しくなる、周りに子どもが生まれすぎるっていう。
本当に子どものことばっかり考えていました、やりながら。
減らないかなぁって。
(水) さっき久島さんも言ってましたよね、子どもが何か減らなかったって。
(学) そうですね。
(水) それだけたくさん簡単に子どもが生まれちゃうっていうことですか?
このシステムは。
(学) ええ。
(学) 25%ですもんね。
(長) それをちょっと裏返すと、人が死んだ方がいいっていう。
(水) 死んだ方がいいような気分にさせられるゲーム?
(長) ええ、悲しいなって。
(水) 人減らし、口減らしをしたくなるようなゲーム?
(長) 結局人数が少なければ取れた穀物の量が同じでも、生活が楽になるんですよ。
だから増えるのが嫌で死んだ方がいいっていう、そういう気持ちにさせられる。
(学) 何か奉公に出すとかそういう選択肢が全くないじゃないですか。
例えば中絶とかそういう選択肢もあってもいいのだと思うんですけど、
そういうのが全く無くてひたすら生まれていくので。
(学) しかも増えたことでいずれ多分働き手になるのにそれも考慮されていない。
食べていくだけでマイナスの面しか出てこない。
(長) その、植えられる面積が1haって決まっているからね。
(水) 食べることばっかり考えているっていう感じですか?
いつも食べること考えてて、口減らしも考えてて、
やけに子どもが次々生まれるなっていう、
そういう悪い人みたいな。
(長) というか経済的な視点しかないっていうか、
貧乏でもいいから仲良く暮らせればそれで幸せみたいな話が全く無いんですよね。
(水) この制作者にそれが感じられないっていう。
(長) もう獲れた物と人数と貯蓄っていう、本当経済的な視点しかないですね。
(水) 飢餓ぎりぎりっていうところで
(長) 自分の家族にも関わらず、死んだ方が助かっちゃうっていう、
そういう感覚ですよね。
(水) これイギリスの中学高校でやったらどんな気分になるんですかね、本当に。
イギリス人は悪人みたいなことを自分で振る舞ったりするところが
あるような気がするんですけど。
(学) インドの人達に対して印象が悪くなっちゃうんじゃないかな、って。
イギリスの子どもとかが何も知らない状態でこれをやった時点で、
やけに25%の確率で子どもが生まれる国なんだとか、
結構天候ですぐ作用されて安定しなくてでもすぐ子どもが生まれて、
何かどんどん、そういう国なんだ、
とか印象を悪くさせるような気がするなぁと。

経済状況の最初の説明とかそれ以外にもちゃんと教育・説明しないと、
まだ大学生だったら色んな背景があるしとか考えられてても、
中学生の教材でこれを渡したら変な印象を持って、
インドに悪い印象を持って終わっちゃいそうだから、
かなり指導しないと教材ってある意味悪い方向に向かいそうな気がしました。
(学) 安直に子ども産まなかったらいいじゃんっていう方向に解決策を探しそうになるんですよ、
これをやっていると。
問題はそこじゃなくて色々あると思うんですけど、今はパッと思いつかないですけど。
子ども産まなければいいじゃん、じゃあないと思うんですよ。
ただそこの面だけが大きくクローズアップされてて。
(学) ただでもそれが多分、子どもが生まれなきゃいいみたいなので、
インドとか政策が一時期、何か女性のそういうのをしたっていう歴史もあるなっていうのも、
そういうのを色々含めた上で多分終わった後、色んな感想が出た後、
そういうところもちゃんと触れておかないと、この地理の経済的な部分だけではなくて、
社会的な歴史の部分とか女性への政策だとか全て含めないと・・・
さすがに良くないんじゃないかなと。
(学) 只の中高生にやらせるゲームということで、
ある程度は構造を簡単にしないとダメなんだと思うんですけど、
これを只のゲーム感覚でやってしまうとそれはそれでやっぱり問題があると思うので。
そうですね、周りからの他の情報を入れていかないと問題があるんじゃないでしょうか。
(水) あの、これは子どもが生まれる・生まれないはサイコロで決まるんですかね、
自分の意志じゃない。
まずそこが違うんですよね。
あと自分の意志で決められるのは作付けですかね。
(学) 作付けだけです。
(水) 作付けは決められるんですね、あとは2つのサイコロで決まっちゃう。
そうすると子どもを生む・生まないは決められなくて、土地も広げられなくて、
という感じですかね。
(長) インドでは性教育がちゃんと行き届いてなくて、
その生む・生まないっていうことが皆に良く分かってないと、
そういう前提でやっているゲームですか?
それをイギリス人に理解させたいと。
(水) いや分からないです、そこまでは詳しく調べていないので。
ただ人口政策でいうと、インドと中国って対比されますけど、
中国の場合は一人っ子政策は早い段階でガーンとやりますよね。
でもインドの場合はそれをやっていないから、
だからある段階でインドの方が人口を上回ってくるという予測じゃないですか。
だからちょっと乱暴なやり方ですけれども、
生まれちゃうっていう設定のこれは案外リアリティがあるのかもしれない。
(長) ええ、何かそのインド人に子どもが生まれすぎると生活が大変になるんだよ、
ということを知ってもらうためにこのゲームをやるというならまだ理解出来るんですけど。
それをイギリス人がやっても、イギリスはそういう社会じゃないし、
多分教育レベルもそうじゃないですよね。
だからそれを何でイギリスでやるのかが、
イギリスの子ども達にそれを分からせても全然社会が違いますよね。
(水) これの製作が1970年代じゃないかなと思うんですよね、多分。
イギリスの地理学の状態は社会地理学っていうのが強く出てきて、70年代・80年代に。
だから多分今のイギリスで、これをこのままやるのは難しいのかもしれないですね。

特にその人口政策というのか人口についても、人口戦略というのか、
さっき米田さんが言ってたかもしれないですけど子どもを多くすることによって労働力として、
あるいは将来の保険として維持して、家計を保つという、
積極的な世帯戦略をそれをインド人が取ってるとすると、
インドに限らずそういったことはあちこちでありますけれども、
だとするとその積極戦略がこの中では表現されていないんですよね。

お金なんかでもマイクロファイナンスとかって言って小金を融通したりなんかして
ちょっとしたビジネスが出来るようになったりだとか、
そういうものをインド人が開発したりとか色んな工夫があるんだけども、
そういったことも全然入っていないんですよね。

だからシミュレーションの場合には単純化されているので、
最初に言いましたように、全部入れようとすると、ボルフェスの1対1の地図。
あれに近付くんですよね。

現場に行った方がいいっていう。
地理の中でも現場主義っていうのはすごく強いですけれども、
現場行けば良いって言ったらお終いっていうか、
そういう感じがするんですよ、
現場行けばいいんだというそれだけを言ってしまったら。

もう一方でシミュレーションで全部を表現しようとするというのは、
僕の考えでは、行ったつもりになる、
行って本当に経験することと行ったつもりになって考えていることとを同じだと考えてしまう。
これを全部盛り込むとですね。

だからシミュレーションの意義は多分、
これは僕が何か一般的なことを言って申し訳ないんですけれども、
今まで研究してきた細々とやった経験で言うと、
いつもずれがあるというのか、今不満が出ましたよね。
不満が出た後、例えば米田さんなんかインドにちょっと興味が湧きませんでした?
その、不満を通じて。
(学) いや・・・
その、人死に過ぎだろう、とかは思いますけど。
だから人が中々死なないって言いましたけど、それにしても死んでると思うんです。
あまりゲームで生きる・死ぬを取り扱うべきじゃないと、
割と日本では言われてるからかもしれないですけど、
生まれるか死ぬかで病気とか全然ないじゃないですか。
(水) 死に過ぎているんじゃないかと。
(学) 何か、すごい軽いですよね、サイコロ振ったら人が死ぬっていうのは。
(水) そうしたら、死に過ぎているんじゃないかと米田さんは直感で思いますよね。
そうすると実証的に確かめたくなるじゃないですか。
(学) ええ、それは、はい。
(水) それは刺激してますよね。
だから多分ちょっとインドに関心が既に向かっているんですね。
違うでしょうって予想があったらつい調べたくなっちゃうじゃないですか。
その要素を、このシミュレーションは準備していると思うんですね。

他にも色々何か文句はいっぱいあるじゃないですか。
その文句って自分を前に進めてると思うんですよね。
違うでしょう、って。
それからこのイギリス人変な人だとか。
それからこんなので教育したらインドに対する偏見が深まるだけじゃないか、って。

実際70年代のイギリス人のインド理解はこれに近かったのかもしれないですよ。
だからモロに無意識の内に出ちゃうというのか、シミュレーションの中に。
この偏見がそのまま出ちゃって、
そうすると違う人間がそれを真っ正直にやるとその偏見をモロに感じてしまって、
イギリス人のある集団が持っている一般常識を肌で感じるというのか、
「え、こんな風にインドを見てるのか」という、
何かひしと感じるんじゃないかと思うんですけどね。


他に何か、改善点とか不足しているものとかありましたら、これも色々ありましたよね。
4時になったので若山さんもし都合が悪かったら抜けて下さいね。
これは何か、工夫はありませんか?
もうちょっと、インドの農業が理解できるように、改善できないのか、という。
(長) これはそもそも教材として作ったんですよね。
目的は何だったのですか。
今みたいな、そういう、インドに興味を持ってもらうきっかけとなれば、
中身が結構適当で不満さえあれば良いっていうね、そういう・・・
(水) 動機付けですね。
(長) ええ。
そういう意味なのか、或いは「ここからこのことを学び取って欲しい」というような、
何か目的はあったんですか?
(水) 目的はあったと思います。
あの、70年代以前のイギリス・・・
イギリスだけじゃなくて世界中の地理教育が地誌中心で、
地誌って割と記載ばかりで、記載と記載の間の関係が全然論じられてないんですよ。
だから他分野から割とバカにされるというか、「細切れのことをいっぱい言っている」と。

それに対してシステマティックに考えるというか、
この現象とこの現象は重なり合っているのだと、
それを地理教育の中で教えるんだというのが
60年代後半から70年代にかけてはっきりと出てきたと思います。

日本も、やはり学習指導要領で10年後20年後位遅れて、
それが入ってきているんですよね。
だから地域を理解する時に、或いは環境を理解する時にシステマティックに考える。
これ(ゲーム)細かいところは色々文句あると思いますけど、
ある程度はシステマティックに考えられていると思います。

例えば雨、
このぐらいの雨だったら米に対してはこういう効果が出るけど、
キビに対してはこういう効果が出て、
それが食生活とこういう風に結びつくんですよと関連付けてますよね。
それを言葉で説明するのは難しいんだけど、
実践することで肌で連関を理解してしまうというか。
システマティックな理解。

だから、偏見はたっぷりあるんですよ、
偏見はたっぷりあるんですけれども、システマティックに理解しようとする、
習慣は身に付けたんじゃないですか。
(学) このゲームをすることで、
偶然の作用がどれだけ影響するのかっていうのを分かって欲しいから、
っていうものなんですよね?
(学) それは分からないですね・・・。
僕から見ると大きな偶然しか入っていない様な気がするんですよ。
小さな偶然って、さっき上手く説明出来なかったんですけど、
こういうことを思い出したんですよ。

小学校の高学年か中学の始めくらいの時、
小学校の時か、朝着ていく服って何通りかあるじゃないですか。
今日僕は黄色いの着てますけれども、他にも色々あるのですけれども、
偶々黄色い洋服を着て来ましたよね。

実はこれとほぼ同じ物を熊谷先生も持っているんです。
それで、熊谷先生と時々一緒になることがあるんですよね。

これ着る時いつも思うんですけれども、
「ん、今日熊谷先生はどういう気分かな、これで来るかなどうかなー」
て考えているんですけれども、ばったり会うことがあるんですよ。
そうすると共鳴が起きますよね。

「お、熊谷先生も着てきた、よっしゃあ」っていう感じになりますよね。

この偶然って言うのは小さな偶然なんですよ。
この服偶々着てるけど別にこの服じゃなくても大したことないんですよ、
大した違いではないんですけれども、熊谷先生が着てくると、
「お、共鳴」って言う感じで。

この共鳴がシミュレーションに反映されていない。
サイコロの出方によって生きたり死んだりというでかい話ばっかり。
大きな偶然は入っているんだけれども、小さな偶然は入っていないんですよ。

だから地球上のCO2の問題にしても、
CO2の濃度がほんの0.何%増えると温度がこうなる(上がる)とか。
小さな違いが、こういう大きな影響になって表れると。

これが小さな偶然なんですよ。
それがこれ(ゲーム)にはあんまり入っていない。
そこがちょっと残念なんですけど、僕が思ったのは・・・。

いや、これは意見聞かなきゃいけないのに僕が自分で断定していますけれども、
不確実性にさらされているんだっていうことを強調したいのかなと。
色々な不確実性にインドの人達がさらされている。
環境の面でもそうだし、人口の面でもそうだし、
生存ラインぎりぎりでもし生きてた場合に食糧問題はとても大きくて、
ちょっとした偶然に左右されてしまう人達、
そういう状態に置かれているんだということを伝えたいのかな、と。

違いますかね?
(学) 多分、書いてある内容的にもそういう形みたいなんですけど・・・。
このままだとそれよりも他に、
何か子どもが生まれるか生まれないかというこっちの比重の方が、
実際降水量よりも多分人手が増えたことで飢餓になる確率が高いんです。

降水量が、多少1年ぐらい悪くても大体持ち直すというか、何かしら持ち直せるんですけど、
子どもが増えたら一気に持ち直せないという部分もあるので、
本当は降水量の大小とか作付けとか、インドの農業っていうテーマもテーマだと思うので、
農業関連の話で行くはずだったのに、もしかしたらこの教材をやった後だと感想が、
家族構成とかそっちの感想ばっかりになりそうだなぁという印象があります。

例えばもう一つ位作物を増やしてもよかったんじゃないかと、
あまりにも単純過ぎて、多分賢い子とか「あ、これ位の割合で植えたらいいんだ」とか、
シュミレーション何回かやっていくうちに分かってくるのではないかと、
私もある程度分かって「こんなもんかな」と思いながらやっちゃったりしてたので。

だからもう一つ位要素が、
米とキビともう一つ麦とか、まぁ麦は絶対一緒には埋まらないんですけれども、
洪水になった場合には浮稲とか特殊バージョンがあったり、
病虫害対策のために薬を買ってその1年位は病虫害にユニット使うけど
その代わり病虫害あってもその被害を全然受けないとか、もう少し農業っぽくするなら、
子どものことよりも色々要素を作ることが出来たんじゃないかな、と。
(このゲームが)テーマを絞り切れていないような、
色んなテーマに突っ込めるようなものを作りすぎたんじゃないかなと。
(水) インドの農業と言っているけれども、
実はインドの農村人口の圧力・プレッシャーというか。
そういうテーマのシュミレーションじゃないのか、と。
(学) これをやっている内に、そっちの方の感想が多くなってしまうんじゃないかなと。
数年ぐらいなら特に無かったと思うんですけれども、
むしろ20年しっかりやっていくうちに、
むしろそっちの問題の方が印象に残っちゃって・・・っていう感じです。
(水) そっち(人口問題)がリアリティとして強く出てくるわけですよね。
(学) そうすると目的と外れちゃうんじゃないかなというのがあって、
そこが何か、違う教材と言うのか、
農村の人口問題の教材としては成功だと思うんですけれども、
何か(農業問題としては)ちょっとテーマがずれちゃうように思えました。
(水) それは今まで指摘があったか確認してこないといけませんね。
割と順調に、貧しくならないように行っていたのは二人の工夫ですか?
(学) うーん、でも作付けとか固定してた?
(学) してない。
(水) 穏健にやると植えないんですか?
穏健に生きた方がいいよという教えになるゲームなのか?という。
(学) どうなんでしょう、
私は殆ど米とキビを1対3で植えていて、
というのをずっと繰り返していて、穀物の収入が肥料の追加がない限り、
基本16から20の間で、っていう形で留めていました。

そこが私自身は、人口が変に増えなかったのもあって、それでまぁ・・・。
私は飢えないことを第一目標にしてて、
博打はやめようって思って、
食べれればそれでいいっていうスタンスでやっていせいか、
そんなに満足はしなかったというか、
財産もなく、でも20年間生きれてよかった、
っていう生き方をしたというか。
(水) 他に何かありますか、この辺で。
(学) さっきも若山さんがおっしゃってたように不安定要素を排除する機構が何も働かないんですよ。
ある程度何かを集めたら水牛じゃなくてトラクターを買えるとか、
自分で肥料を買うみたいなのが全くなくって、
常に不安定要素に晒され続けるじゃないですか。
(学) 外部から来る不安定要素が割と高い確率でやってくるわけですか?
(学) はい、
それ(不安定要素)を防ぐ何かを考えるっていうことも農業って結構大事だと思うんですけど、
全くそういうのが無くてひたすら耐えて借金積み重ねて行くだけですよね。
(水) かなり受け身な感じ、農民が受け身になっている。
(学) はい、そう感じました。
(水) 何かその、リアリティを感じたことと、工夫ということなんですけれども、
さっき若山さんが何か言ってましたね、何か干ばつとか虫が付くとか、
そういうことがあったら次の年は子どもが生まれないんじゃないかと。

それがどういうことを意味しているのかっていうと、
サイコロ振る時って確率が今外側から決まってますよね。
だけど人間社会の場合は自分達がその確率を自分達が変えていくことが出来る存在というのか、
それが入っていないんですよね。

だけど結果は割と多様なんですかね?
それぞれの結果は?
(学) マイナスになりました。
(水) 結果は多様になるんですね、
多分この多様さは大きな偶然性が引き起こしているような気はしているんですけれども。
(長) 多分中学生のゲームだから、ある程度単純化しないといけなくって、
それで色んなオプションがそぎ落とされている。
(水) ええ、そぎ落とされてますね。
(長) 基本的に自分達の意志でどうにか出来るものっていうのを極力少なくしていますよね。
だから今の工夫みたいな話も全部入ってこないし、
あとその、負債とか貯蓄のやり方に関しても、本当に単純なルールですよね。

例えば今貯蓄というのもずっとただ保持されるわけですけれども、飢餓にならない限り。
でも最低限と満足の間のラインって、最低限の生活って本当苦しいと思うんですよ。
満足出来るだけの食糧が得られなければ、その最低限と満足の間にいた場合って、
やっぱり不満なわけじゃないですか。
満足ではないですよね。

果てしてその時にこの貯蓄を食いつぶさずに、本当に維持できるのかというのが、
自分だったら多分貯蓄を食いつぶしていってしまうんじゃないかというのが、
そういう意志も入れられないですよね。
(水) 何か色々話を聞いて行くと、どうも農村の人口プレッシャーの話と、
不確実性晒される受け身の農民という像が身体に植え付けられるようなゲームだったのかなぁ、
という風な感じがしますけれども。
(学) ・・・何回もぶつぶつ言ってますけど、
本当に確率で、期待値通りにいけば全部キビ植える方が有利なはずなんですよ。
(水) そこに達しました?
(学) ええ、キビ3つで米1つだと期待値が17.69で、
全部キビ植えると18.36でまぁ微妙と言えば微妙なんですけれども。
全部米植えると14.04なんですよ。
18だったら9人いけるかな、14だったら7人とか割と大きいのに、
そこが反映されないのはやっぱり大きい偶然(のせい)なのかなと。
(水) それに気付いた時に米田さんの選択はハッピーなものに終わっているんですかね?
(学) いやー
子どもが増えすぎて。
作付けと大きい偶然、偶然の出来事って全く関係していないんですよ。
そこに何かないとつまんないですよね。
つまんない・・・んじゃないですけど。
(長) 戦略があんまり功を奏しない?
(学) はい、そしたらもう作付けに何を付けても、
それが自分で意図出来る部分だって言うけど、
意図してもどうしようもないですよね。
割と無力感だったんですが。
(水) 米田さん、いつから、何年目ぐらいで飽きてきましたか?
(学) でも、ゲーム始める前から全部計算していたので、
1回目2回目も全部キビで作付けしていたのですけど。
(水) 割と先が見えました?
(長) 練習の段階じゃない、そうしたら始めの。
(学) ああ、何か・・・
段々子どもが増えていくと、段々嫌になってきましたね。
(水) 自分の戦略にも関わらず増えてしまった?
(長) 別だものね、サイコロが。
(水) ああ、
そうすると戦略は練っていたのだけれども、
否応ない、子どもが生まれてしまうというものに巻き込まれてしまって、
人口プレッシャーを学ばされたみたいな。
(学) 最後の6年間が10人になったんですけど、
そうしたら、降水量が500と750だったら一区画に6取れるから24なんですよ。
その一つ下だと1000ミリで、20なんですよ。
作った分全部無くなっていくので。
だから500か750が出ない限りマイナスかイコールなので、
その辺からこれもう嫌だなーと。
(長) 子どもが増えすぎた時にどうしようもないのよね。
それを打開する策が全く無いから。
(水) 策をこの世界では与えてくれないわけですか。
中々キツイなぁ。
(学) サイコロで死ぬのを待っていくしかない。
(学) 借金が増えていくし。
(長) 現実ではやり方多分幾らでもあるよね。
その選択肢がやっぱり欲しいよね。
(水) この、それぞれの人が出たサイコロの上で、10何種類のイベントが出てきますよね。
普通実社会の中で生きている中では、この確率は分からないわけですよね。
分からないまま生活している。

分からない時はどうするかと言ったら、政府発表の統計資料も使うし、
それから昨日までの自分達の生活と、
昨日までのお隣さんとかの生活を見て明日を決めるという。
つまり前の状態に依存した確率なんですよね、本来は。

それ(ゲーム)はいつも確率が、分配率が外から与えられているもので、
変えられなくってすごく窮屈な感じを味わっているんですよね。
でもインドでそういうことがひょっとしてあるんですかね。
自分達で変えられない確率値っていうのがあって、それを表現しているのだとしたら、
窮屈な状態にインドの人達はいるのかもしれないと思うのですけれども。
でもそれにしても選択肢が余りにも足りないという気がしますが。
(長) これを実際にインドの人がやった例というのはないんですか?
(水) それは分からないんです。
ですからブラフ・チャップマンの(ゲーム)をやれればいいかなと思ったんですけれども。
ブラフ・チャップマンはインドの研究者で、
緑の革命の実証研究もやって、尚且つ計量地理学の研究者だったんですね。
(長) それどうしても23人いないとダメなんですか?
(水) ええ大がかりなのは聞いていました、前から。
でもまさか23人だとは思わなかった。
だから多分そっちをやるとかなり大がかりに、インドのことが複雑に色々分かるんですよ。

お金を貸し借りしたりとか、
売ったりとか銀行から借りたりとか地主がいたりとか色んなのがあるんですよ。
だからそこまで行くと本当にミニチュアのインドの農村を
感じられるのかもしれないですけれども。
(長) これだけだと不満だよね。
どうせだったらそっちをやりたい気がしますけどもね。
(水) そうですね。
(長) それはどうしても23人いなきゃいけないのか、或いは1人3役でも大丈夫なのかとか・・・。
(水) いや分からないです。
何かこういう、ボードみたいな、人形みたいなものを作るんですよ。
それを持ってその人に成りきるんですよ。
だからその人に成りきって、インドの縮図みたいなことをやるわけですから、
本当に喧嘩とか本当に悲しんで泣いちゃうとか、それが起きちゃうらしいんですよ。

それをブラム・チャップマンっていう髭生やしたおじさんですけど、
その人が自分で作った人形の前でグフフとか気持悪く笑っている写真があって。
学生は泣いているのに。

泣かせるぐらいのゲームだったら素晴らしいんでしょうね、きっと。
ランカスタ大学のHPを見るとちゃんと載っていたので、
大きなプロジェクトにしてやったみたいですね。
だから一人で作る物じゃないです。
インドの実態をよく知っている人がかなり助言しながらエッセンスを入れていって、
それで実行可能なものに単純化していって、盛り込んだのでしょうね。

多分開発教育の一つのシミュレーターとして教育に入れているのではないですかね。
パイロットのシミュレーターみたいな感じで、途上国の人達の、
まずこのシミュレーションゲームやってから行きなさいみたいな。
それが緑の革命だったんでしょうね。

いや僕はこのゲーム聞いててずっと気になってて、
米とキビが同時に作られる場所なんてあるのかなあと思っていたのですけれども、
一部ありますね。

キビっていうか綿花、綿花地帯と稲地帯が重なっているところが、ちょっとある。
ベンガル地方は完全に田圃ですよね。
こっちの方に行くと乾いてくるので綿花とかが多いのですけれども、
その合間の谷筋のところは両方ありますね。
そうすると何かこういうところの調査に基づいてイメージして作っているのかな、
ぐらいの感じで、まぁ僕もだから地図見たいと思いましたよね、
それを仕向けてくれたわけで、刺激してくれたわけです。

シミュレーションには、ですから、この予測だけではなくてやってみることで、
自分の中で痛感して刺激されるっていう良さがあるので、
教育の中でそれを入れられれば良いんじゃないかなと思います。
他に、言い足りないことあれば、何かありますか?
(学) 米とキビみたいなものが被っている地帯の降水量とかはこんな確率なんですか?
(水) いやーどうなんでしょうね、僕は違うと思いますけどね。
これ、こっち側に、何て言うのか、○○地帯というのか、こんな感じになっているんですね。
こっちにちょっと高いところがあってこうなってて、
だから川がこういう風に流れているんですよね。
それでここモンスーンじゃないですか。

ここの高地の所は多少乾いているんですけれども。
だからこの降水量、僕は自分でやってて変だなぁと思ってましたけど、
1000とか1750とかって言ったら、東京都同じくらいじゃないですか。

東京よりちょっと少ない位ですかね。
かと思ったらある年は500とか、すごく少ない時があるじゃないですか、
ロンドンとか札幌ぐらいの少なーい状態があって、すごく変動が激しいもので
「え、インドってそんな場所あるのか」って
つい思ってしまいました。
500ミリから1700ミリまで一気に年変動するような、そんな場所ですかね?インドって。

同じ場所にいるわけですよね、ずっと。
朝鮮半島は梅雨前線がちょっと上下するだけで降水量がすごく変動するので、
多少ありますけど、でも500と1700っていうそんなレベルじゃないですよ。
もうちょっと狭い範囲だけど。
だからこれ極端なんですよ、すごい極端。
だから多分こっちのインドとこっちのインドを2つ、
くっつけたんじゃないですかね。
(長) 本来であればその場所によって、
降水量多い所と少ない所を平均すればそういう特性があると思って、
そうしたらそこに合わせたものを植えますよね。
(水) そうですね、これは不確実性がすごく大きな数字と言いますか。
(長) 選択肢がないじゃないですか、植える作物についてもその2種類しかなくて。
基本的に田植え地帯であればお米を植えればいいっていうような、
そんな選択が出来ない。
(水) そうですね。
米を植えたら、例えば人口○○が上がるじゃないですか。
そういうのも入っていないんですよね。
だから何を植えるかっていうのは、人口プレッシャーを意識していたとしたら、
これでどれくらい食べられるか、ここだったらプランテーションやっているから、
商品化って言ったら絶対問題になるわけだけど、ここでは売っちゃいけないんですよね。
売ってないわけですからね。

だから売るっていうのをやり始めたら、地主みたいな人達が登場してくるはずなんですよ。
インドでは井戸水も地主とかが独占しているじゃないですか。
多国籍企業がやってきて地下水を汲み上げていったら、
どんどん地下水が下がっていって、普通の民家の井戸は涸れちゃって、
地主の深井戸だけが水を上げられるもので、そこに皆お願いに行って、何て言うのかな、
「お代官様、お水を下さい」
っていうような主従関係が出来たと言うか。

そういう複雑なものがインドの現実ですけど、
まぁだからシミュレーションゲームにそこまで求めるのは酷なのかもしれないですね。
(水) 最後ですけれども、
僕はこういうの出来ないかなー
と思うシミュレーションゲームがいくつかイメージする所があって、
前にも長谷川先生にちょっと話しました。

今、福島の方で、家族がですね、家族とか避難所とかで分断されるっていうのか、
放射能が怖いからと言って母親と子ども達が避難した時に、お父さん達が怒って、
「お前は福島を捨てるのか、何言ってるんだ、ここでちゃんと除染してやれば暮らせるんだぞ」
と。

色々争いになるんですけれども、それを、その争いも含めた、
上手く家族とか地域を何とかしていくようなストーリーが生まれる、シミュレーションゲーム。
そんなゲームを作れないですかね。

(一同笑)

いや構想するんですよ、色々。
誰か似たようなことを考えている人がいたら、ちょっとアイディアを出し合って、
誰か発表してくれないかなぁって。何かキットを用意して。
HP上に誰か発表してくれて、それを皆シミュレーションゲームでやるっていう。
(学) 何かファンタジーとかでやるんだったらまだ分かると思うのですけど、
福島とか放射線とかあからさまに見出すと、
問題があるんじゃないですかね・・・。
(水) 問題があるというのは売れなくなるということ?
(学) 何か、そういうのをゲームにするのは倫理的に問題があるんじゃないかって、
思うんですけど。
(水) ダメですかね、家族の問題を扱ったら。家族の問題の中でそれを考える。
(学) だからその、全く、全くじゃないですけど、
同じようなテーマ設定で、世界がファンタジーっぽい何かだったら構わないと思うんですけど、
今まだこの時期にそういうのをしちゃうのはどうなのかなぁと思います。
(水) ああ、分かりました。
僕は夢想してたんです、頭の中で。
これは何を構成するとシミュレート出来るんだろうか、
どういう風にやると家族が上手くいくストーリーになるのだろうか、という感じで。
(長) 全然イメージが湧かないんですけど、サイコロを振るとかですか?
こういう、今みたいに。
(水) サイコロを振る・・・
いやですから僕が自分のシミュレーションのモデルを作った時には、
いつもサイコロは小さな偶然なんですよ。5%以内の、偶然です。

だからご飯食べるにしても昨日は2000calだったら、
そのプラスマイナス5%位の、この位の揺れ、
これを色んなところに入れて置くんですね。
そうすると同じパラメーター値なのに結果が違ってくるというのを、
今まで研究してきたんですけど。

そういう小さな偶然が、世の中を変えてくるきっかけにならないのかなぁと思って。
それを色んなところで、色んな現象に使えないのかなぁっていう。
まぁこれは夢想です、夢想。
(長) いや、
そういう家族の問題を、例えば実際に家族がいて、今分断されようとしているっていう時に、
具体的にゲームとしてどういうことをやればいいのかっていうのが・・・
(水) ああ、働くことと、それから家族構成どうするのかっていうことと、
子どもがいるとしたら幼稚園とか、色んなところに行きますよね。
それからあと何を食べるのかとかそういった条件と、
避難するなら避難する場所との関係とか。

そういう条件を入れてですね。
それで色んな家族の形が在り得るんだけども、何て言うのか、
家族が分断されて、不幸な方向に行かないようにするには、
どこをどう押さえればいいのかなっていう、考えるシミュレーションゲーム。

・・・いや僕は夢想をしゃべっているので、だべりをしているんですけど。
一同 (笑)
(長) 例えばじゃあ自分はここに残ってこの仕事をします、とか決めますよね。
そうしたらその後何が起こるっていう、
例えば2年後3年後にこうなっていきますっていう出来事は、
ゲームの方が勝手に、何かやってくれるんですか?
(水) 多分その場合は、
年齢が重なって、年を取っていくというのを多分入れないといけないでしょうね。
それぞれが年を取っていく、子ども達も成長していく。

その中で、要するに世帯が2つに分かれるということは、
費用は増えるし収入は変わらないわけですよ、
家族の間のコミュニケーションはどうするのか、
一週間に一回行ったり来たりするとか、余分な費用がかかったり。

まぁそういうようなものを組み込んで、何か出来ないのかなと。
ざっぱくなアイディアですね、これ(ゲーム)が終わった後の。
単純じゃないですか、このゲームは。
もっと現実に肉薄するものを出した方がいいんじゃないか、
とちょっと思っていたので、まぁ感想を述べました。
(学) どうやったらクリア出来るのか、全然予想がつかないです。
いや、「それをシミュレートする」って言われたらそれまでなんですけど。
その、どんな要素を備えてれば幸せにまとまれるのか、予想がつかないです。
ある程度の予想がついてないと、要素も作れないと思うんですよ。
(水) 多分、意見っていうのを演数にまた入れなきゃいけないでしょうね。意見。
だから・・・避難することが福島を捨てたことになっているのかどうか。
それから「居る」っていうことがそもそも家族を長時間もたせると言うか、
維持することに繋がっている意見なのかどうか。
ですから意見と、行動と、生活と。
これらを全部くっつけたような、壮大な、モデルですね。
まぁ一応考えてみました、ということですね。
(学) 難しい・・・。
(水) さて時間になりました、そろそろ終わりにしましょうか。
では今日はお疲れ様でした。
一同 お疲れ様でした。

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